栄養学を拓いた巨人たち「病原菌なき難病」征服ドラマ
杉 治夫 著
2013年」4月20日 第1刷発行
講談社ブルーバックスY940
栄養学の進展が、歴史順にコンパクトにまとめられている。栄養学に出てくるキーワード(言葉)や概念がどのようにして作られたか、発見されたかを、栄養学に貢献した研究者のエピソードを通じて知ることができる。物語風に書かれているので、なじみやすい。栄養学の入門書として適している。(おススメ度:おススメ)
<著者の紹介と執筆の動機>
著者の杉治夫氏は帝京大学医学部名誉教授、専門は筋肉の生理学。
実父で生理学者の杉靖三郎が亡くなり、その蔵書の中に、ビタミンの発見の様子を描写した雑誌を発見した。その物語のドラマ性に惹かれ栄養学の進展に貢献した研究者を紹介するためにこの本を執筆した。
<内容>
この本で紹介されている研究者は、ラボアジェ(体内では食物がゆっくりと燃焼していることを示した)、ベルナール(代謝を解明)、マッカランなどビタミンの発見者たち、クレブス(クエン酸回路を発見)などである。
<コメント>
栄養は、生物が外界から物資を取り入れ、それを自身の体や機能にに役立つ物質に変化させることである。
栄養学の歴史を概観して、栄養の本体とは体の中で起こる化学であること、つまり、体の中で起こる物質の化学変化とエネルギー変換であることを理解しよう。
栄養素やビタミンの発見は、食物をすりつぶして脂溶性、水溶性のものに分け、さらにそれらを化学的な性質によって分けるという分析的な手法によりなされた。
栄養学は分析的な手法を用いて特定の物質を見つけ、その機能を明らかにするという、まさに「自然科学」の王道の学問として成立してきたことが分かる。
2019年5月7日火曜日
2016年7月13日水曜日
F344:Dunning系とNIH系
F344系統は、1920年にコロンビア大学のCurtisらによって系統化が始められました。
1926年にCurtisのグループにWilhelmina Francis Dunningという女性が加わります。当時はパートタイムの学生アシスタントだったそうです。その後Dunningは学位を取得し、コロンビア大学に職を得ます。そして、Crocker Institute of Cancer Researchにおける、ラット近交系の維持の責任者になりました。
コロンビア大学のF344系統は、1949年にHestonを経て、NIHにF344が導入されています。これがF344/Nという亜系統になります。
これとは別に、1960年に米国のチャールス・リバー社に導入されF344/DuCrlという亜系統になっています。
つまり、F344系統は、NIH系とDunning系という2つの亜系統に分けられるということです。
日本のブリーダーから得られるF344は、以下の通りに分けられます。
1)NIH系:
日本SLCのF344/NSLc
2)Dunning系:
日本チャールス・リバーのF344/DuCrlCrlj
日本クレアのF344/Jcl
参考文献:
The Laboratory Rat, second Edition, Ed;Suckow, Weisbroth, Franklin, Academic Press, 2006
日本チャールス・リバー株式会社 総合カタログ
日本クレア株式会社 総合カタログ
日本エスエルシー カタログ
1926年にCurtisのグループにWilhelmina Francis Dunningという女性が加わります。当時はパートタイムの学生アシスタントだったそうです。その後Dunningは学位を取得し、コロンビア大学に職を得ます。そして、Crocker Institute of Cancer Researchにおける、ラット近交系の維持の責任者になりました。
コロンビア大学のF344系統は、1949年にHestonを経て、NIHにF344が導入されています。これがF344/Nという亜系統になります。
これとは別に、1960年に米国のチャールス・リバー社に導入されF344/DuCrlという亜系統になっています。
つまり、F344系統は、NIH系とDunning系という2つの亜系統に分けられるということです。
日本のブリーダーから得られるF344は、以下の通りに分けられます。
1)NIH系:
日本SLCのF344/NSLc
2)Dunning系:
日本チャールス・リバーのF344/DuCrlCrlj
日本クレアのF344/Jcl
参考文献:
The Laboratory Rat, second Edition, Ed;Suckow, Weisbroth, Franklin, Academic Press, 2006
日本チャールス・リバー株式会社 総合カタログ
日本クレア株式会社 総合カタログ
日本エスエルシー カタログ
2016年7月7日木曜日
F344系統の由来
F344という近交系ラットがいます。アルビノのラットで比較的小型で、薬理・薬効試験、長期発癌試験などで使用されています。
F344は、1920年、Maynie Rose Curtis という女性の科学者が、米国コロンビア大学の Crocker Institute of Cancer Research で、近交化を始めたラットに由来します。
この時使用したラットは、Fischerという地元のブリーダーから入手しました。毛色は、黒のぶち でしたが、アルビノのキャリアだったようです(a/a, B/B, C/c, h/h) 。交配番号344から得られた最初の産子が、F344系統の始まりです。
参考文献:
The Laboratory Rat, second Edition, Ed;Suckow, Weisbroth, Franklin, Academic Press, 2006
F344は、1920年、Maynie Rose Curtis という女性の科学者が、米国コロンビア大学の Crocker Institute of Cancer Research で、近交化を始めたラットに由来します。
この時使用したラットは、Fischerという地元のブリーダーから入手しました。毛色は、黒のぶち でしたが、アルビノのキャリアだったようです(a/a, B/B, C/c, h/h) 。交配番号344から得られた最初の産子が、F344系統の始まりです。
参考文献:
The Laboratory Rat, second Edition, Ed;Suckow, Weisbroth, Franklin, Academic Press, 2006
2015年1月8日木曜日
科学アカデミー会議週刊報告書
現在知られているラットを用いた最も古い学術論文として、1856年フランスで発行された論文があります。
原本は、電子化されておりインターネットで閲覧することができます。
外装:http://www.biodiversitylibrary.org/item/16553#page/9/mode/1up
内表紙:http://visualiseur.bnf.fr/CadresFenetre?O=NUMM-3000&I=3&M=tdm
論文が載っている雑誌の名前は、Comptes rendus hebdomadaires des séances de l'Académie des sciences。
日本語では、「科学アカデミー会議週刊報告書」となるそうです。
原本は、電子化されておりインターネットで閲覧することができます。
外装:http://www.biodiversitylibrary.org/item/16553#page/9/mode/1up
内表紙:http://visualiseur.bnf.fr/CadresFenetre?O=NUMM-3000&I=3&M=tdm
論文が載っている雑誌の名前は、Comptes rendus hebdomadaires des séances de l'Académie des sciences。
日本語では、「科学アカデミー会議週刊報告書」となるそうです。
この報告書の1856年43巻904から906ページに論文が載っています。
2015年1月7日水曜日
ラットの歴史を探るための文献
ラットが動物実験に使われるようになったのは、19世紀半ばのヨーロッパとされています。
現在知られているラットを用いた最も、古い学術論文は、1856年フランスで発行されたもので、アルビノラットを用いた副腎摘出実験に関するもの。
20世紀に入ると様々な論文が出されるようになりますが、以下にラットを用いた古典的文献をあげておきます。
Philipeaux, JM
Note sur l'extirpation des capsules surrenales chez les rats albinos (Mus rattus).
Compt. rend. Acad. sc. 43: 904-906, 1856.
ラットを用いた現在入手可能な最古の文献。
アルビノラットを用いて副腎摘出を行っている。
Donaldson, H
The Rat
Memoirs of the Wistar Institute No. 6, 2d ed, 1924.
ウィスター研究所の所長ドナルドソンがまとめたラットに関する総説。
Savory, WS
Experiments on food; its destination and uses.
Lancet 1:381-383, 1863
ラットを用いた栄養学研究。
現在知られているラットを用いた最も、古い学術論文は、1856年フランスで発行されたもので、アルビノラットを用いた副腎摘出実験に関するもの。
20世紀に入ると様々な論文が出されるようになりますが、以下にラットを用いた古典的文献をあげておきます。
Philipeaux, JM
Note sur l'extirpation des capsules surrenales chez les rats albinos (Mus rattus).
Compt. rend. Acad. sc. 43: 904-906, 1856.
ラットを用いた現在入手可能な最古の文献。
アルビノラットを用いて副腎摘出を行っている。
Donaldson, H
The Rat
Memoirs of the Wistar Institute No. 6, 2d ed, 1924.
ウィスター研究所の所長ドナルドソンがまとめたラットに関する総説。
Savory, WS
Experiments on food; its destination and uses.
Lancet 1:381-383, 1863
ラットを用いた栄養学研究。
2014年5月28日水曜日
爬虫類館のラット
最も古いアウトブレッドストックとして、パリ植物園で飼育されてたラットがいます。
1856年に発行された雑誌"Magasin Pittoresque"3月号の75-76ページに記事があります。
この記事をブリュッセルのルーバン大学医学部のBazin博士がRat News Letter (1988) で紹介しています。雑誌の記事はフランス語で書かれているので、内容を英語に翻訳し紹介しています。
それでは、1850年ごろ(今から160年ほど前)、パリでの飼育ラットの状況を見てみましょう。
当時、パリの植物園内で飼育されていた爬虫類の餌としてアルビノマウスと黒白まだらのラットが飼育されていました。これらのマウスやラットは、生餌として、あるいは屠殺された直後に爬虫類に与えられました。
爬虫類の担当者は、主に、黒白まだらのラット(黒い頭、背部に黒いストライプ、他の部分は白)を繁殖していました。これらのラットは繁殖力が旺盛で、1年に8産とれることもあり、1産あたりの産子も10-12匹であったようです。ラットたちがかじらないように、金属を貼った木製のケージで繁殖が行われました。
パリ植物園は、1635年に王立の薬草園として開設され、1793年に自然史博物館となりました。そのころから、博物館内の動物園では、爬虫類が飼育されていたと想像されます。その爬虫類を飼育するためにマウスやラットが繁殖されていたのでしょう。
そうすると、1850年よりもかなり以前から、パリ植物園ではラットが飼育されていたと思われます。
そのため、パリ植物園の頭巾斑ラットストックが、最古のストックとして紹介されているのです。
Bazin博士は、1988年にパリ植物園の爬虫類館を訪れ、この白黒まだらラット譲り受ました。
そして、研究室に持ち帰り、それらをもとに近交系を確立しました。
現在では、PAR系統として知られています。PAR系統は野生由来のBN系統と並んで、実験用ラット系統のなかで、最も遺伝的に離れた系統であることが報告されています。
パリ植物園は現在でもパリにあります。そこには動物園があり爬虫類も飼育されています。
今でも、ラットが飼育されているのでしょうか?いつか訪ねてみたいものです。
参考文献
The Laboratory Rat, 99 33.
Rat News Letter 20: 14, 1988.
Genome Res. 7: 262-267, 1997.
1856年に発行された雑誌"Magasin Pittoresque"3月号の75-76ページに記事があります。
この記事をブリュッセルのルーバン大学医学部のBazin博士がRat News Letter (1988) で紹介しています。雑誌の記事はフランス語で書かれているので、内容を英語に翻訳し紹介しています。
それでは、1850年ごろ(今から160年ほど前)、パリでの飼育ラットの状況を見てみましょう。
当時、パリの植物園内で飼育されていた爬虫類の餌としてアルビノマウスと黒白まだらのラットが飼育されていました。これらのマウスやラットは、生餌として、あるいは屠殺された直後に爬虫類に与えられました。
爬虫類の担当者は、主に、黒白まだらのラット(黒い頭、背部に黒いストライプ、他の部分は白)を繁殖していました。これらのラットは繁殖力が旺盛で、1年に8産とれることもあり、1産あたりの産子も10-12匹であったようです。ラットたちがかじらないように、金属を貼った木製のケージで繁殖が行われました。
パリ植物園は、1635年に王立の薬草園として開設され、1793年に自然史博物館となりました。そのころから、博物館内の動物園では、爬虫類が飼育されていたと想像されます。その爬虫類を飼育するためにマウスやラットが繁殖されていたのでしょう。
そうすると、1850年よりもかなり以前から、パリ植物園ではラットが飼育されていたと思われます。
そのため、パリ植物園の頭巾斑ラットストックが、最古のストックとして紹介されているのです。
Bazin博士は、1988年にパリ植物園の爬虫類館を訪れ、この白黒まだらラット譲り受ました。
そして、研究室に持ち帰り、それらをもとに近交系を確立しました。
現在では、PAR系統として知られています。PAR系統は野生由来のBN系統と並んで、実験用ラット系統のなかで、最も遺伝的に離れた系統であることが報告されています。
パリ植物園は現在でもパリにあります。そこには動物園があり爬虫類も飼育されています。
今でも、ラットが飼育されているのでしょうか?いつか訪ねてみたいものです。
参考文献
The Laboratory Rat, 99 33.
Rat News Letter 20: 14, 1988.
Genome Res. 7: 262-267, 1997.
2014年5月27日火曜日
妻の旧姓をつけられたラット
ウィスターラットと並んでよく利用されるアウトブレッドラットにSDラットというのがあります。
SDとは、Sprague-Dawleyの略です。
今回は、SDラットの由来を見てみましょう。
オリジナルのストックは、1925年、ウィスコンシン大学の物理化学者である Robert Worthington Dawley 氏によって確立されました。
Spragueといのは、彼の最初の妻の旧姓で、自分の名字と併せて、Sprague-Dawleyと名付けたとのことです。
彼は、ウィスコンシン州のマディソンに Sprague-Dawley Inc.という会社を設立し、ラットの販売を始めました。Dawley氏の死後(1949年)、この会社は、ARS/Sprague-Dawley Companyとなり、今日では、Harlan Sprague-Dawleyとして世界的にも有名な実験動物供給元となっています。
さて、SDラットの由来です。
オリジナルのストックは、非常に大柄で元気な頭巾斑の雄ラット(ただし、アルビノをヘテロにもつ)に由来します。この雄ラットとアルビノの雌ラットを交配し、得られた産子のうち雌の産子に戻し交配をしました。このような戻し交配を7回繰り返し、アルビノのラットを用いて、複数ラインで、近交化を図りました。その中から、10頭を選び交雑しました。選抜の基準は、哺乳能力が高い、成長が早い、健康、気性がよい、亜ヒ酸(arsenic trioxide)に耐性があることです。
最初の雄ラットの由来は不明です。
交配に用いた雌ラットの由来は、Douredoure strainというもので、おそらくウィスター研究所に由来すると思われます。
現在でも、SDラットは複数の業者から購入可能です。
いずれの業者のカタログにも、SDラットは、性質温順、発育良好、繁殖良好、体型大型と紹介されています。つまり、選抜された特性を引き継いでいるのです。
ということは、現在のSDラットも亜ヒ酸に耐性があると想像されます。
参考文献
The Laboratory Rat: pp 32.
Rat Quality - A Consideration of Heredity, Diet and Disease: pp 86-97.
SDとは、Sprague-Dawleyの略です。
今回は、SDラットの由来を見てみましょう。
オリジナルのストックは、1925年、ウィスコンシン大学の物理化学者である Robert Worthington Dawley 氏によって確立されました。
Spragueといのは、彼の最初の妻の旧姓で、自分の名字と併せて、Sprague-Dawleyと名付けたとのことです。
彼は、ウィスコンシン州のマディソンに Sprague-Dawley Inc.という会社を設立し、ラットの販売を始めました。Dawley氏の死後(1949年)、この会社は、ARS/Sprague-Dawley Companyとなり、今日では、Harlan Sprague-Dawleyとして世界的にも有名な実験動物供給元となっています。
さて、SDラットの由来です。
オリジナルのストックは、非常に大柄で元気な頭巾斑の雄ラット(ただし、アルビノをヘテロにもつ)に由来します。この雄ラットとアルビノの雌ラットを交配し、得られた産子のうち雌の産子に戻し交配をしました。このような戻し交配を7回繰り返し、アルビノのラットを用いて、複数ラインで、近交化を図りました。その中から、10頭を選び交雑しました。選抜の基準は、哺乳能力が高い、成長が早い、健康、気性がよい、亜ヒ酸(arsenic trioxide)に耐性があることです。
最初の雄ラットの由来は不明です。
交配に用いた雌ラットの由来は、Douredoure strainというもので、おそらくウィスター研究所に由来すると思われます。
現在でも、SDラットは複数の業者から購入可能です。
いずれの業者のカタログにも、SDラットは、性質温順、発育良好、繁殖良好、体型大型と紹介されています。つまり、選抜された特性を引き継いでいるのです。
ということは、現在のSDラットも亜ヒ酸に耐性があると想像されます。
参考文献
The Laboratory Rat: pp 32.
Rat Quality - A Consideration of Heredity, Diet and Disease: pp 86-97.
2014年4月2日水曜日
土をこねて物の形をつくる。穴に鼠がはいる様子。
理化学研究所が「STAP細胞」作製を報告した論文中に、捏造と改竄という意図的な不正があったとする最終報告を出しました。
『広辞苑』によりますと、
「捏造」とは、事実でないことを事実のようにこしらえて言うこと。土などをこねてものの形を作ること。
「改竄」とは、字句などを改めなおすこと。多く不当に改める場合に用いられる。
以下、『新字源』によりますと、
捏という漢字は、ねばついた土に手を加えて「こねる」、からめるという意。
これから派生して、
1) こねる、からめる。
2) こじつける、でっちあげる。
3) からめる、にぎる。
4) おす、おさえる、おさえつける。
『広辞苑』によりますと、
「捏造」とは、事実でないことを事実のようにこしらえて言うこと。土などをこねてものの形を作ること。
「改竄」とは、字句などを改めなおすこと。多く不当に改める場合に用いられる。
以下、『新字源』によりますと、
捏という漢字は、ねばついた土に手を加えて「こねる」、からめるという意。
これから派生して、
1) こねる、からめる。
2) こじつける、でっちあげる。
3) からめる、にぎる。
4) おす、おさえる、おさえつける。
竄という漢字は、穴に鼠が隠れるさま、から逃げ隠れるという意。
1) かくれる、かくす。
2) のがれる、にげる。
3) はいる、あなにはいる。
4) しみいる、香などがしみこむ。
5) ひそか、かすか。
6) はなす、遠方に追放する、流竄、竄逐。
7) あらためる、文字をかえる、竄改、改竄。
「捏」が、手を使い、土をこねて、形のないものから形のあるものへ作り上げるという意味を示すことは、イメージしやすいです。
「竄」ですが、穴と鼠の組合せですので、隠れる、逃れるというのは、イメージできます。
そこから、穴に入る→しみいる→しみいったものがかすかに出てくる→放つ、追放する→もとのものとは違ったものになる、というような意味の展開でしょうか?
鼠(ねずみ)関連の漢字だけに気になります。
2014年2月11日火曜日
ドイツのd、伝染病研究所のd、予防衛生研究所のY
ddYマウスという日本で開発されたアウトブレッド(非近交系)マウスがいます。
薬効、薬理、毒性などさまざまな試験研究に利用されています。
このマウスの由来を記載した文章を見つけましたので、転記します。
『実験動物飼育管理の実際』
小山良修(東京女子医大教授)
今泉清(予研獣疫部長)
鈴木潔(伝研獣医学部)
田中利男(日本モンキーセンター)
1963年
医学書院
Ⅰ.飼育管理
1.マウス
1)まえがき
a. 種類・系統
”現在わが国で一番広く用いられているいわゆるdd系は秦佐八郎が、ドイツから持ちかえってサルバルサン検定に使用していたものが、旧満鉄衛生研究所・安東洪次のもとに伝わり、これが戦時中さらに伝染病研究所に送られて、封鎖集団 (closed colony)内での雑交配(random mating)がつづけられて来たものである。さらに昭和26年以来この集団をもとにして積極的に繁殖が再開され、dd系という名で伝染病研究所各研究部・東京大学に供給されるようになり、また各所にわたって繁殖され、繁殖箇所頭文字をつけてddD(伝染病研究所)、ddN(実験動物中央研究所)、ddO(大阪大学微生物病研究所)、ddT(武田薬品工業・光工場)、ddY(予防衛生研究所)などと呼ばれるようになった。したがって、dd系なるものは一般に近交系ではないが、一部では近交20代をすぎた近交系ddを保持しているところもある。”
伝染病研究所は、現在の東京大学医科学研究所。
予防衛生研究所は、現在の国立感染症研究所。
予研で開発された近交系DDYは、国立感染症研究所の獣医科学部実験動物開発室が移行した先の、医薬基盤研究所実験動物研究資源バンクから利用できます。
薬効、薬理、毒性などさまざまな試験研究に利用されています。
このマウスの由来を記載した文章を見つけましたので、転記します。
『実験動物飼育管理の実際』
小山良修(東京女子医大教授)
今泉清(予研獣疫部長)
鈴木潔(伝研獣医学部)
田中利男(日本モンキーセンター)
1963年
医学書院
Ⅰ.飼育管理
1.マウス
1)まえがき
a. 種類・系統
”現在わが国で一番広く用いられているいわゆるdd系は秦佐八郎が、ドイツから持ちかえってサルバルサン検定に使用していたものが、旧満鉄衛生研究所・安東洪次のもとに伝わり、これが戦時中さらに伝染病研究所に送られて、封鎖集団 (closed colony)内での雑交配(random mating)がつづけられて来たものである。さらに昭和26年以来この集団をもとにして積極的に繁殖が再開され、dd系という名で伝染病研究所各研究部・東京大学に供給されるようになり、また各所にわたって繁殖され、繁殖箇所頭文字をつけてddD(伝染病研究所)、ddN(実験動物中央研究所)、ddO(大阪大学微生物病研究所)、ddT(武田薬品工業・光工場)、ddY(予防衛生研究所)などと呼ばれるようになった。したがって、dd系なるものは一般に近交系ではないが、一部では近交20代をすぎた近交系ddを保持しているところもある。”
伝染病研究所は、現在の東京大学医科学研究所。
予防衛生研究所は、現在の国立感染症研究所。
予研で開発された近交系DDYは、国立感染症研究所の獣医科学部実験動物開発室が移行した先の、医薬基盤研究所実験動物研究資源バンクから利用できます。
2014年1月14日火曜日
養鼠家と狂歌師のコラボ
『日本の動物観―人と動物の関係史』という本の中で、『養鼠玉のかけはし』に関する学術論文があることを知りました。
「江戸時代後期上方における鼠飼育と奇品の産出―『養鼠玉のかけはし』を中心に―」というものです。東北大学東北アジア研究センターの安田容子さんが、『国際文化研究』という雑誌の16巻205-218ページ(2010年3月31日)で発表されています。
http://ci.nii.ac.jp/els/110007590505.pdf?id=ART0009409175&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1389681286&cp=
私もラットを研究している立場から、『養鼠玉のかけはし』に関する小論を2009年に『ビオフィリア』誌に発表しています。安田さんは、人と動物の関係という視点から、『養鼠玉のかけはし』に注目されたようです。江戸時代の出版に関しては、よくご存知のようで、私がわからなかった『養鼠玉のかけはし』の出版に関することについては、詳しく書かれています。
それによると、作者の春帆堂主人とは、大坂島之内の松原町の春木幸次という人物。
版元は、江戸の山金堂(山崎金兵衛)、大坂の柏原屋(荒木佐兵衛)と和泉屋(辻分助)の三書肆とあるが、公の出版願いは、和泉屋分助が安永3年(1773年)4月に出願している。
また、『養鼠玉のかけはし』の制作には、当時の大阪で活躍していた絵師、彫師、狂歌師がかかわっている。
例えば、絵師の皎天斎主人とは、大坂狩野派の橘国雄のことで、宝暦年間から天明5年(1756-1785)の間に絵本挿絵を中心に活躍していた。
彫師の一人である藤村善右衛門は、当時の大坂を代表する彫師であった。
狂歌師の一本亭芙蓉花は、当時の上方狂歌三派の一つである一本亭社を率いており、俳諧師の蕪村一門とも交流があった。
さらに、芙蓉花以外にも、この一派を構成する門人、高井守由、小出朶雲、平山呉山などが狂歌をよせている。また、狂歌の賛には、奇品鼠の名称だけでなく、その鼠の珍しさや高価さ、鼠の芸が詠み込まれている。このようなことから、一本亭社の主要な門人であった狂歌師たちが集まって、養鼠家たちの奇品鼠の品評会と同時に、狂歌会を催したと推測している。
私は、『養鼠玉のかけはし』に出会った時から、鼠の飼育本としての価値を見出していました。しかし、安田さんは、飼育本としてだけでなく、絵本、さらには、一本亭社の狂歌選集としての価値も見出されたようです。
奇品鼠を飼うことも、狂歌を読むことも、当時は裕福人びとの趣味だったのでしょう。当時流行の狂歌師たちを、当時流行の奇品鼠の品評会に招待し、歌を詠ませ、そして、本を出版する。このようなことを考えた仕掛け人がいて、養鼠家と狂歌師のコラボがなされたと想像します。
「江戸時代後期上方における鼠飼育と奇品の産出―『養鼠玉のかけはし』を中心に―」というものです。東北大学東北アジア研究センターの安田容子さんが、『国際文化研究』という雑誌の16巻205-218ページ(2010年3月31日)で発表されています。
http://ci.nii.ac.jp/els/110007590505.pdf?id=ART0009409175&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1389681286&cp=
私もラットを研究している立場から、『養鼠玉のかけはし』に関する小論を2009年に『ビオフィリア』誌に発表しています。安田さんは、人と動物の関係という視点から、『養鼠玉のかけはし』に注目されたようです。江戸時代の出版に関しては、よくご存知のようで、私がわからなかった『養鼠玉のかけはし』の出版に関することについては、詳しく書かれています。
それによると、作者の春帆堂主人とは、大坂島之内の松原町の春木幸次という人物。
版元は、江戸の山金堂(山崎金兵衛)、大坂の柏原屋(荒木佐兵衛)と和泉屋(辻分助)の三書肆とあるが、公の出版願いは、和泉屋分助が安永3年(1773年)4月に出願している。
また、『養鼠玉のかけはし』の制作には、当時の大阪で活躍していた絵師、彫師、狂歌師がかかわっている。
例えば、絵師の皎天斎主人とは、大坂狩野派の橘国雄のことで、宝暦年間から天明5年(1756-1785)の間に絵本挿絵を中心に活躍していた。
彫師の一人である藤村善右衛門は、当時の大坂を代表する彫師であった。
狂歌師の一本亭芙蓉花は、当時の上方狂歌三派の一つである一本亭社を率いており、俳諧師の蕪村一門とも交流があった。
さらに、芙蓉花以外にも、この一派を構成する門人、高井守由、小出朶雲、平山呉山などが狂歌をよせている。また、狂歌の賛には、奇品鼠の名称だけでなく、その鼠の珍しさや高価さ、鼠の芸が詠み込まれている。このようなことから、一本亭社の主要な門人であった狂歌師たちが集まって、養鼠家たちの奇品鼠の品評会と同時に、狂歌会を催したと推測している。
私は、『養鼠玉のかけはし』に出会った時から、鼠の飼育本としての価値を見出していました。しかし、安田さんは、飼育本としてだけでなく、絵本、さらには、一本亭社の狂歌選集としての価値も見出されたようです。
奇品鼠を飼うことも、狂歌を読むことも、当時は裕福人びとの趣味だったのでしょう。当時流行の狂歌師たちを、当時流行の奇品鼠の品評会に招待し、歌を詠ませ、そして、本を出版する。このようなことを考えた仕掛け人がいて、養鼠家と狂歌師のコラボがなされたと想像します。
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