2014年1月14日火曜日

養鼠家と狂歌師のコラボ

『日本の動物観―人と動物の関係史』という本の中で、『養鼠玉のかけはし』に関する学術論文があることを知りました。

「江戸時代後期上方における鼠飼育と奇品の産出―『養鼠玉のかけはし』を中心に―」というものです。東北大学東北アジア研究センターの安田容子さんが、『国際文化研究』という雑誌の16巻205-218ページ(2010年3月31日)で発表されています。
http://ci.nii.ac.jp/els/110007590505.pdf?id=ART0009409175&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1389681286&cp=


私もラットを研究している立場から、『養鼠玉のかけはし』に関する小論を2009年に『ビオフィリア』誌に発表しています。安田さんは、人と動物の関係という視点から、『養鼠玉のかけはし』に注目されたようです。江戸時代の出版に関しては、よくご存知のようで、私がわからなかった『養鼠玉のかけはし』の出版に関することについては、詳しく書かれています。

それによると、作者の春帆堂主人とは、大坂島之内の松原町の春木幸次という人物。
版元は、江戸の山金堂(山崎金兵衛)、大坂の柏原屋(荒木佐兵衛)と和泉屋(辻分助)の三書肆とあるが、公の出版願いは、和泉屋分助が安永3年(1773年)4月に出願している。

また、『養鼠玉のかけはし』の制作には、当時の大阪で活躍していた絵師、彫師、狂歌師がかかわっている。
例えば、絵師の皎天斎主人とは、大坂狩野派の橘国雄のことで、宝暦年間から天明5年(1756-1785)の間に絵本挿絵を中心に活躍していた。
彫師の一人である藤村善右衛門は、当時の大坂を代表する彫師であった。
狂歌師の一本亭芙蓉花は、当時の上方狂歌三派の一つである一本亭社を率いており、俳諧師の蕪村一門とも交流があった。
さらに、芙蓉花以外にも、この一派を構成する門人、高井守由、小出朶雲、平山呉山などが狂歌をよせている。また、狂歌の賛には、奇品鼠の名称だけでなく、その鼠の珍しさや高価さ、鼠の芸が詠み込まれている。このようなことから、一本亭社の主要な門人であった狂歌師たちが集まって、養鼠家たちの奇品鼠の品評会と同時に、狂歌会を催したと推測している。

私は、『養鼠玉のかけはし』に出会った時から、鼠の飼育本としての価値を見出していました。しかし、安田さんは、飼育本としてだけでなく、絵本、さらには、一本亭社の狂歌選集としての価値も見出されたようです。

奇品鼠を飼うことも、狂歌を読むことも、当時は裕福人びとの趣味だったのでしょう。当時流行の狂歌師たちを、当時流行の奇品鼠の品評会に招待し、歌を詠ませ、そして、本を出版する。このようなことを考えた仕掛け人がいて、養鼠家と狂歌師のコラボがなされたと想像します。

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