2014年3月4日火曜日

哲学入門のための哲学者入門

『哲学個人授業』
<殺し文句>から入る哲学入門
鷲田清一、永江朗
2008年2月6日初版
バジリコ株式会社

『考えすぎた人』
お笑い哲学者列伝
清水義範
2013年6月20日発行
新潮社


前者は、フリーライター永江朗が元阪大学長で哲学者の鷲田清一の個人授業を受けるという設定。毎回、一人の哲学者とその著作から、心が震えるような言葉、グッとくるフレーズを選び、そのフレーズの前後の文章も含めて、言葉の意味やその哲学者の考え方を鷲田さんが解説するというもの。

いままでもやもやとしていたものが、哲学書の中の言葉、文句に出会うことで、一挙に結晶化する、そんな経験が哲学書にはある。このように鷲田さんは述べられています。

この本の中で紹介されている言葉、文句のなかで、私が一番グッときたものは、ロラン・バルトの『テクストの快楽』より、

精神分析が的確にいっているように、エロティックなのは間歇である。二つの衣服(パンタロンとセーター)、二つの縁(半ば開いた肌着、手袋と袖)の間にちらちら見える肌の間歇。誘惑的なのはこおのちらちら見えることそれ自体である。更にいいかえれば、出現―消滅の演出である。

確かに縁、境界には眼がいきますよね。眼から入ってくる膨大な情報を短時間で処理するには、境界を第一に認識し、フラットな部分はすっ飛ばすというような機構が人間の脳には備わっているといわれています。衣服でいえば、肌との境目もそうですが、色の境目、素材の境目(アクセサリーや時計)に自然と眼がいきますよね。


2冊目は、様々な作家の文体をまねてユーモア小説を書く清水さんの小説。哲学者12人を選び、その哲学というより、人となりを描く。ソクラテスからサルトルまで時代順に紹介。

カントに関する物語が印象に残る。カントの若手研究者が、合コンでカント哲学を紹介するが、みんなドン引き。そこで、友人が彼をトイレに連れて行きいさめる。そして一言「そもそもカントの哲学がわかってるのかよ」。その後彼は、トイレから戻り、みんなの前で、カントの哲学を本当は理解していない、と白状。ある意味シュールでリアルということで場が和む。
これは、作者清水さんの哲学解説本の作者への皮肉かな。